キリスト教は2千年以上も多くの人々に信奉されている偉大な宗教だとは思いますが、私がその中にどっぷりと浸ることは到底考えられません。
年賀状の送り主であるフランス人女性を、何がそこまで駆り立てたのか…何か特別な理由があるのでは?と考えるのは、邪推でしょうか…
【2012/04/01 11:48 】
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そのフランス人女性からの年賀状のコピーを平野老師に見せて貰ったのですが、正直なところ、とても驚きました。
驚いた理由は、その年賀状が日本語で書かれていたからではありません。日本人である私がカトリック教会で洗礼を受け、敬虔なクリスチャンとして時々修道院などで厳しい修行を経験する…みたいなことをその彼女はしているからです。
【2012/03/31 00:00 】
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あるフランス人女性からの年賀状に、四弘誓願(しぐせいがん)が書かれていました。
そのフランス人女性は私の直接の知り合いではありません。私が出席している坐禅会を指導している僧侶の、平野克史老師の弟子とのことです。年賀状は平野老師へのものでした。

その女性は自身の修行の一環として、パリの自宅で坐禅会を月あたり2〜3回のペースで定期的に開いています。
その坐禅会の名称は「天地人禅会」。かなりの日本通です。
天地人禅会のホームページもありますので、宜しければちょっと覗いてみて下さい。重要な部分は和訳もされていますので、活動内容等を知ることができます。
HPへ>>>http://www.tenchijin-zen-kai.fr/
【2012/03/30 00:00 】
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3月の坐禅会のテーマは四弘誓願(しぐせいがん)でした。
四弘誓願(しぐせいがん)は宗派を超え、全ての仏教修行者が毎日読経すべきものとのことで、その名の通り4つの誓願文で構成されています:
  • 衆生無辺誓願度(しゅじょうむへんせいがんど)
    地上にいるあらゆる生き物をすべて救済するという誓願
  • 煩悩無尽誓願断(ぼんのうむじんせいがんだん)
    煩悩は無尽だが、すべて断つという誓願
  • 法門無量誓願学(ほうもんむりょうせいがんち)
    法門は無量だが、すべて学ぶという誓願
  • 仏道無上誓願成(ぶつどうむじょうせいがんじょう)
    仏の道は無上だが、かならず成仏するという誓願
Wikipedia「誓願」より
【2012/03/29 00:00 】
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「雑務」に誠意を込めることは、短期的にはちょっとした変化に過ぎませんが、永く続ければ大きなメリットがあるのかもしれません。
他の「雑務」もキチンと取り組もうと思っている、今日この頃です。
【2012/03/27 00:00 】
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出来る限り心を込めて掃除することを続けていると、少しではありますが、何か変わってきたような気がします。
先ず、あたり前のことですが、部屋がより綺麗になりました。
私の気持ちの変化としては、部屋を綺麗にしたことによる達成感を得られたことが一つ。
また、達成感を得られたことにより、気持ちが以前より落ち着いたような気もします。
【2012/03/26 00:00 】
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今は、出来る限り心を込めて掃除をするようにしています。
つい以前の心理状態に戻ってしまうことがあり、毎回キチンとすることは中々難しいですが…
【2012/03/24 00:00 】
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我が家での私の家事担当は掃除です。
典座教訓を知る前は前回の記事の通り、正直なところ嫌々&おざなりに掃除をしていました。
【2012/03/23 00:00 】
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私自身にとっても、典座教訓に貫かれている「生活の全てが修行である」という考え方は衝撃でした。
以前の私は、本業以外はおざなりにしてましたから。
【2012/03/21 00:00 】
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道元は阿育王山広利寺の典座とやり取りにより、一見雑務だと思えるような炊事も、実は大事な修行の一つだと悟りました。
その後、道元は洗濯や掃除など、炊事以外の日常の生活に不可欠な作業についても疎かにすべきではなく、むしろ禅の一部だと悟ったに違いありません。
その悟りにより典座教訓は、道元の「生活の全てが修行であり禅である」という考え方が貫かれています。
【2012/03/20 00:00 】
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道元の「典座は重要なポジションだ」という信念は、若い頃に修行の為に渡った中国での経験によるもののようです。
道元はある時、阿育王山広利寺の典座と次のやり取りをしました。

道元:
「座尊年、何ぞ坐禪辨道し、古人の話頭を看せざる。煩く典座に充て、只管に作務す、なんの好事か有る」
(あなた様ほどのお歳で、坐禅弁道したり、古人の仏道修行に関する話を読んだりしないで、どうして典座職として、煩わしい炊事を只ひたすらするのですか)
広利寺の典座:
「外国の好人、未だ辨道を了得せず。未だ文字を知得せざること在り」
(外国から来られた好い人よ、あなたは未だ弁道ということを了解会得しておらず、また、文字というものも未だ知り得ていないようだ)
【2012/03/18 00:00 】
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曹洞宗では食事を作ることも食べることも、重要な修行の一つだと考えられているということです。
これを料理研究家の辰巳芳子さんは、「本務と雑務の区別はない」と表現しています。
【2012/03/16 00:00 】
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曹洞宗の開祖である道元の著書の一つに、「典座教訓」があります。
典座教訓は次の文章で始まります:
佛家にもとより六知事有り。共に佛子たりて、同(とも)に佛事をなす。
典座はこの六知事の一つで、他の五知事と同様に仏事をこなす重要なポジションだということです。
【2012/03/15 00:00 】
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曹洞宗の料理長である典座には、高僧が就任するのが伝統となっています。
禅宗の修行僧にとっての本務は坐禅をすることやお経を読むことだと思われがちですが、料理を作ることも大事な修行の一つだからです。
【2012/03/13 00:00 】
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投稿が遅くなりましたがが、2月の坐禅会のお題は典座。てんざではなく、「てんぞ」と読むのだそうです
投稿が遅くなりましたがが、2月の坐禅会のお題は典座。てんざではなく、「てんぞ」と読むのだそうです。
典座は永平寺など曹洞宗の修行寺におけるポジションの一つで、料理長のことです。
【2012/03/12 11:02 】
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浄髪(最終回)
要は、執着についても程度の問題なのではないだろうか。
適度な、というか、バランスが取れている執着が理想的なような気がする。
髪の毛について言えば、その濃さ薄さに拘るのではなく、全身の健康に気をつけ、後は自然に任せるのが良いと思う。
執着についても、ブッダの根本的な教えの一つである中道にたどり着いた。
【2012/02/02 00:00 】
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浄髪(その11)
ちなみに、私は頭を丸めるつもりは今のところ無い。
実際、薄くなりかけている頭頂部に育毛剤をほぼ毎日塗布しているぐらいだ。
ま、これは半分冗談だが、今の考えでは、執着そのものがそれほど悪者だとは思っていない。
むしろ、全くないのも悪いことだと思っている。
【2012/01/31 00:00 】
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浄髪(その10)
僧侶たちは5日おきに頭を丸め直す度に、それが象徴する執着も一緒に手放そうと意識しているのかもしれない。
【2012/01/29 00:00 】
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浄髪(その9)
当然のことながら髪の毛は伸び続けるものなので、5日おきに頭を丸め直さないといけないわけだが、それが象徴する執着も同様で、常に手放すことを意識していないと強くなり続けるものである、ということを示唆している。
【2012/01/28 00:00 】
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浄髪(その8)
出家した僧侶たちは、執着の象徴である髪の毛を剃り落とすわけだが、それを維持するのも大変なようだ。私が参加している坐禅会を指導してくれているお坊さんに伺ったのだが、4と9が付く日に頭を剃るのだそうだ。つまり、毎月4日、9日、14日、19日、24日、29日という具合に、ほぼ5日おきである。
【2012/01/27 00:00 】
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