年賀状の送り主であるフランス人女性を、何がそこまで駆り立てたのか…何か特別な理由があるのでは?と考えるのは、邪推でしょうか…
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驚いた理由は、その年賀状が日本語で書かれていたからではありません。日本人である私がカトリック教会で洗礼を受け、敬虔なクリスチャンとして時々修道院などで厳しい修行を経験する…みたいなことをその彼女はしているからです。
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そのフランス人女性は私の直接の知り合いではありません。私が出席している坐禅会を指導している僧侶の、平野克史老師の弟子とのことです。年賀状は平野老師へのものでした。
その女性は自身の修行の一環として、パリの自宅で坐禅会を月あたり2〜3回のペースで定期的に開いています。 その坐禅会の名称は「天地人禅会」。かなりの日本通です。 天地人禅会のホームページもありますので、宜しければちょっと覗いてみて下さい。重要な部分は和訳もされていますので、活動内容等を知ることができます。 HPへ>>>http://www.tenchijin-zen-kai.fr/ |
四弘誓願(しぐせいがん)は宗派を超え、全ての仏教修行者が毎日読経すべきものとのことで、その名の通り4つの誓願文で構成されています:
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他の「雑務」もキチンと取り組もうと思っている、今日この頃です。
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先ず、あたり前のことですが、部屋がより綺麗になりました。
私の気持ちの変化としては、部屋を綺麗にしたことによる達成感を得られたことが一つ。 また、達成感を得られたことにより、気持ちが以前より落ち着いたような気もします。 |
つい以前の心理状態に戻ってしまうことがあり、毎回キチンとすることは中々難しいですが…
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典座教訓を知る前は前回の記事の通り、正直なところ嫌々&おざなりに掃除をしていました。
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以前の私は、本業以外はおざなりにしてましたから。
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その後、道元は洗濯や掃除など、炊事以外の日常の生活に不可欠な作業についても疎かにすべきではなく、むしろ禅の一部だと悟ったに違いありません。
その悟りにより典座教訓は、道元の「生活の全てが修行であり禅である」という考え方が貫かれています。 |
これを料理研究家の辰巳芳子
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典座教訓は次の文章で始まります:
佛家にもとより六知事有り。共に佛子たりて、同(とも)に佛事をなす。 典座はこの六知事の一つで、他の五知事と同様に仏事をこなす重要なポジションだということです。 |
禅宗の修行僧にとっての本務は坐禅をすることやお経を読むことだと思われがちですが、料理を作ることも大事な修行の一つだからです。
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投稿が遅くなりましたがが、2月の坐禅会のお題は典座。てんざではなく、「てんぞ」と読むのだそうです。
典座は永平寺など曹洞宗の修行寺におけるポジションの一つで、料理長のことです。 |
要は、執着についても程度の問題なのではないだろうか。
適度な、というか、バランスが取れている執着が理想的なような気がする。 髪の毛について言えば、その濃さ薄さに拘るのではなく、全身の健康に気をつけ、後は自然に任せるのが良いと思う。 執着についても、ブッダの根本的な教えの一つである中道にたどり着いた。 |
ちなみに、私は頭を丸めるつもりは今のところ無い。
実際、薄くなりかけている頭頂部に育毛剤をほぼ毎日塗布しているぐらいだ。 ま、これは半分冗談だが、今の考えでは、執着そのものがそれほど悪者だとは思っていない。 むしろ、全くないのも悪いことだと思っている。 |
僧侶たちは5日おきに頭を丸め直す度に、それが象徴する執着も一緒に手放そうと意識しているのかもしれない。
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当然のことながら髪の毛は伸び続けるものなので、5日おきに頭を丸め直さないといけないわけだが、それが象徴する執着も同様で、常に手放すことを意識していないと強くなり続けるものである、ということを示唆している。
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出家した僧侶たちは、執着の象徴である髪の毛を剃り落とすわけだが、それを維持するのも大変なようだ。私が参加している坐禅会を指導してくれているお坊さんに伺ったのだが、4と9が付く日に頭を剃るのだそうだ。つまり、毎月4日、9日、14日、19日、24日、29日という具合に、ほぼ5日おきである。
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